天気はまずまず、温かい11月で、まだ祓川までは車で行ける。祓川ヒュッテに荷揚げ後、生前祓川神社小屋でお世話になった村上浅吉さんの碑を眺めたりした後、2年前の捜索活動にも参加した郷原さんの慰霊碑を捜してみる気になった。
本荘山の会の牧之内さん(吹雪の舎利坂から戻ってきたという)と途中で合流し、左の沢に下ろうとしたが、なかなかショッパイ下りだった。広い原っぱに出ると慰霊碑が見えた。慰霊碑の前で手を合わせた後で、遭難現場を確認すべく、二人で「イワヒゲの滝」まで沢を詰める。大きな岩の上にはスパッと切れ落ちたイワヒゲの滝があった。水量は少ないが、10mを超える高度感のある滝だ。(今野)
祓川から山頂 (吹雪だったとのこと) | 祓川神社小屋跡地 神官の碑「ドド」は「父さん」 |
札幌 郷原真一さん(スノーボードで)の遭難碑 | イワヒゲの滝(牧之内さん撮影) |
メンバー 祐子・豊島 (女子),石川・今野 (男子) の4人
10:18 駐車場発、10:29〜56 モタツ(市場ではナメコより高いキノコ)採取
12:00〜35 男甑山頂(昼食はモタツの味噌汁とおにぎり)、13:26〜32 女甑山頂、15:00 駐車場着
山童祭の翌日、当初の予定通り畠山、相馬、牧之内、佐進の4人は祓川に向かった。
天気が思わしくないので、祐子さんをリーダーとする4人は鳥海町笹子(じねご)の甑山に出かけた。
豊島さんと祐子さんのおかげでモタツを採ることができた。ついでにムキダケも少し入手した。
天気は上がってきて紅葉の風景も楽しんだ。甑山の登りも下りもとてつもなく急斜面である。
女甑の下りはフィックスされたトラロープなしではとても下りられない。分岐の案内板には女甑山の下りに「×」があった。
2万5千の地形図は「うぉちず」という国土地理院のサイトからファイル2枚を保存し、アドビで合成した。
初めてのことで、ヘルプを参照しながらパノラマ写真の合成の仕方を覚え、2時間かかった。(11.3 今野記)
参加者 荘司会長、戸田、佐藤伸、石川、三浦勝、加藤秀、藤原、今野
牧之内、佐進、阿部、中村、豊島、畠山、佐藤祐、相馬
管理棟での宴会
恒例の「山童祭」を南由利原キャンプ場の管理棟で行った。会費3千円。
山行報告、山行計画の後、会長のスライド上映会、山道具のオークションといつもの賑わいであった。
金浦産のタコのボリュームに圧倒され、鳥海町の馬刺しは好評だった。
往復はがきによる事前連絡は12人だったが、16人が集まった。
ワインや酒の差し入れはあったが、キリタンポの材料・アルコールなど主なものはみな不足した。
明け方、本荘市まで戻り、朝食用のうどんを8食追加する。24時間営業に感謝。(今野)
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