年末の祓川 11.12.29~31    山行粗描へ 多賀谷さんの写真のページへ

【メンバー】児玉(リーダー) 今野 多賀谷、(駒の王子付近まで)栗谷 慎哉

29日 矢島スキー場、9時の集合時間にはみんな揃っていた。栗谷さんは8時に着いたとか。
登山計画書(登山届け)を前日に本荘警察署に届け、同じものをチケット売り場の窓口に提出する。
車をどこに停めればいいかを聞くと、貸しスキー屋の前とのことで、そこにまとめた。

児玉さんがリフトを降りたら、「バックルがない」という。下で落としたようだというので、もう一度下る。
みんなはすでにシールを貼っていた。私はリフトから降りてから貼る。
ブナ谷地に行くまでに児玉さんは追いつくだろうと話をしていたが、その手前、下りになる辺りでもう追いつかれた。
その三叉路でみんなが待ってくれていたので、四人を撮る。その後は三人が速く、栗谷さんと二人で後から歩く。

児玉さんが追い越していく ブナ谷地三叉路

駒の王子の下で栗谷さんのスキーの金具がはずれてしまった。これでは登れない。11時、下山。
すぐ慎哉さんも降りてきたので、栗谷さんの状況を話し、サポートをお願いした。

栗谷さんに背負ってもらった食料が大量に戻ってきた。
フライパンを外付けにし、食料の袋が剥き出しになる状態で、なんとか収めたが、ザックの下の雪が黄色だ。
缶ビールを傷つけてしまっていた。16kgから21kgほどになったようで、極端に歩みが遅くなった。
ややきつい登りではスキーの先端がもぐってしまい、雪を跳ね上げるのにも足の筋肉が震える。

善神沼付近で15:40。薄暗くなりかけ、コロラド(GPS)が固まった。
電池を抜けばフリーズが解消できるはずだが、カバーがはずれない。
首からシルバコンパスをぶら下げ方向を確認しながら登る。
ヘッデンを点灯すると、吹雪で周りが見えない。ときどき灯りを手で押さえ、
周囲の景色を感じながら、なんとかキャンプ場の炊事場の屋根を見つけた。
そこから南南東方向に進む。
かろうじて無線機が入り、「今どこ?」に「最後の登り」と応える。

ルートがヘンだと思いながら進むと、背後から児玉さんが現れ、誘導してくれた。
旭荘側に行ってしまっていた。40mほど戻るとヒュッテだった。
いままでで一番遅くヒュッテに着く記録を作ってしまった。申し訳ない。

多賀谷さんが本場の作法を語りながらキリタンポをつくってくれた。

30日 激しいブリザードで沈澱。
児玉さんがロープワークの本とロープを用意してくれていたので、ヨセミテ結びの復習をしたり、
ダブルで8の字結びを作る方法などを教わったりした。飽きれば寝るだけ。のんびりした1日だった。
フライパンで豚肉とキムチを炒め、貝柱のツマミなども投入し、
白だしやキムチ鍋のたれなどを混ぜておいしいキムチ鍋が出来た。

アルコールは由利正宗カップ2個、缶ビール350ml 1本、里の曙900mlで物足りないが、それで終わるしかない。

31日 風が強く、上には行かない。

南側の部屋の畳をブサブサにして果てたネズミ君、やや大きい。GPSコロラドを大きさ比べで置いてみた。

出発前 旭荘側、屋根には雪がない
駐車場のトイレの屋根も見える キャンプ場の屋根は右側
積雪の目安になる標識で ヘアピンカーブの下、陽が射してきた

ヘアピンカーブの下りで位置を勘違いし、下から回り込もうとしたが、その分余計に登り返すハメになり、みんなをかなり待たせてしまった。
中島台林道分岐あたりでスノーモービルも現れた。彼らのトレースを使わせてもらう。児玉さんはそれを拒否して新雪を滑る。
ブナ谷地からの登り返しで、ツボ足で歩くつもりだったが、モービルのトレースでは意外に潜ってしまい、シールを貼り直す。
20分以上児玉さんを待たせてしまった。多賀谷さんはスキー場からすぐ帰る。
スキー場と本荘警察署に下山の連絡をして、鳥海荘の風呂とラーメンで終了となった。(12.01.02 管理人今野記す。01.04多賀谷さんへのリンク設定)

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