森吉山スキー合宿 12.02.11〜12  山行粗描のページへ

【メンバー】伸逸(リーダー)荘司(11日のみ) 今野 児玉 慎哉

11日 06:00ハートクリニック駐車場集合、16:20テレマーク山荘着 杣(そま)温泉往復 
12日 09:40〜10:00ゴンドラ運行待ち 森吉神社方向へ 一の腰越え 旧森吉スキー場へ 17:00テレマーク山荘着 上小阿仁,高橋旅館でソバ(夕食) 20:30本荘着(解散)

11日 森吉のテレマーク山荘に泊まってスキー、という話に荘司会長も参加して、5人になった。
この2日前に幅広のテレマークスキーを購入した。シールが欲しかっただけだったが、ICIの泉さんにうまいこと勧められた。
靴も合わせて両足で9kgと重いのが気がかりだが、まあ何とか遅れながら歩く。
途中ですっかり離され、行動食をとっているうちに、風雪のためトレースも見えなくなってしまった。

一の腰を目指したが、みんなは右の斜面を滑っていたとのことだ(合流してわかった)。
途中で、福士さんがガイドで引率する埼玉県の5人組と会う。
テレマーク山荘の金(こん)さんから今晩一緒になると聞いていたご一行様だ。

アマチュア無線が児玉さんとつながって、みんなと合流し、旧スキー場を滑りながら宿を目指す。
真ん中が102mmのスキー板は安定していて、新雪でテレマークターンができるのは驚きだ。

旧スキー場ゲレンデに出たが、どんどん離される この後、トレースも消えたが、アマチュア無線で何とか連絡できた
暖炉があるテレマーク山荘(児玉さん撮影) 暖炉右の今西錦司の色紙「山高く、空ひろし」と読むそうだ(児玉さん撮影)
埼玉県の岳人と一緒に(児玉さん撮影)。彼の手にあるものは、こちら→ 羽後本荘駅前で最後の1本を購入。黄色の「鳥海山」17%。

杣(そま)温泉まで金さんの車で送ってもらう。埼玉の5人は後続のワゴン車で。
往復で50分ほどの温泉から帰ると「ダマコ鍋」が待っていた。
2組がそれぞれ5人で食べていたが、持参した「鳥海山」が6合以上余りそうだ。児玉さんの4合ビン(天寿の壱花蔵)もかなり余る。
そこで埼玉の5人に勧めた。われわれの二人は呑まず、もう二人もあまり呑まない。
しばらくすると、仲間が部屋に向かう。もっとしゃべっていたい気分だったが、仕方なく酒を残して、一緒に部屋に消える。
翌朝見たら、酒はきれいに片付いていた。(まあ当然だ)

12日朝8時に金さんのワゴン車で阿仁スキー場まで送ってもらう。
阿仁スキー場から山越えをしてテレマーク山荘に戻る計画だ。
荘司会長はご長男親子と一緒になり、われわれとは別行動をする。

スキー場につくと、ゴンドラの運行を見合わせているとのことだった。
全体の1/4ほどの高さまでしか登らないリフトに乗り、その先は自力で登ることも考えたが、
10時にはゴンドラが動くと伝えられたので、すぐ並び、一番乗りとなった。

そのゴンドラの中で、新しい金具の機能を教わった(全員同じ金具)。
なんと、山スキーのように靴全体が持ち上がるのものだった。(前日はそれを知らず、土踏まずを支点に動かしていた)

途中合流した二ツ井の畠山さんたちも一緒に山越えを考えたが、風雪が強く、「やめるよ」とのことで、
結局われわれ4人だけとなった。

ひどい暴風雪の中、まずは樹林帯を沢沿いに滑る。沢の中は静かだった。
登り返して尾根に出て、その後は一の腰を目指す。途中で寒さのためかシールがはがれるアクシデントが続き、
細引きでしばったり、テルモスのお湯をかけたりして何とか対応した。
なんと三人が頬に凍傷を負った。職場で「ヤケド?」と聞かれたとか。          (12.02.27夜 管理人 今野)

追記:パソコン不調で2/7〜23夕方 はパソコンなし。24日にやっとネットにつながり、このページを作成できるようになったのは25日夜になった。

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