鍋倉峠さがし 12.11.11

【メンバー】荘司 今野 中村(本荘高校山岳部OB会)
【コースタイム】 8:40鍋倉林道終点 9:40十本松(仮称650m) 11:00 864mピーク 11:29 850m鞍部 11:45 864m発 13:08車着

荘司会長が「楽園」という無料の雑誌に「鳥海山物語」を連載しているが、次のテーマには戊辰戦争を扱うらしい。
東北一帯が幕府側だったのに秋田は倒幕側で、庄内から攻め込まれた。

当時の秋田(佐竹藩が中心)は海岸と百宅の鍋倉峠の守りを固めたのに、実際は山越えした庄内軍が手薄な矢島を襲い、勝利を収めた。
矢島生まれの身としては残念なことであるが、それが史実だ。

その当時、鍋倉峠からも攻め込んできたようだが、それを迎え撃つ秋田勢は罪人3人を連れて百宅の奥の林道でその3人を斬る。
これから始まる戦いで怯(ひる)んだらこうなる運命だと罪人を斬って見せたとのことだ。
「人切場」の石碑があり、盗賊親分の辞世の句が添えられている。
「幾万と盗みし金は身につかず 身につく金は今日の一太刀 」とある。 

手元にある昭文社の山と高原地図「鳥海山」1998年版 調査執筆/池田昭二 では「鍋倉峠」の位置は864mピーク辺りだ。
車道から点線が稜線に延びて切れている。

今回はそれに従って、稜線を登る。かなりの急斜面で、薮だ。途中、蔓地獄とでも言いたくなるようなひどい薮もあった。

864mピーク付近でナメコ休憩もある。850m鞍部まで行ってみたが、旧道ははっきりしない。

98年版 昭文社「鳥海山」池田昭二執筆より GPS画像
 
百宅集落からみた白い鳥海山 石碑もまわりの葉が落ちてよく見える「慶応四年閏 四月十九日」
鍋倉林道分岐 歩き始めたら直ぐ徒渉があり、堰堤が現れ、右へ進む
絡まっているミズナラ ミズナラに乗るブナ
750mほどで旧道らしくなり、文字が彫られたブナが目につく 出入(?)通行
倒木にナメコ発見 864mピークを過ぎて850m鞍部付近
左は「佐藤」と読める 864mからの兜山
下りで見つけたブナ 桂だろうか大きい
絡み合ったブナ 右に回り込んで
2本の枝が絡んでいる? 食い込んでいる
帰りはやや左側に回り込み3回徒渉があった 松のピークが目につく。車は4台ある。

帰りに矢島町の寿慶寺(じゅけいじ)に寄る。
戊辰戦争で戦場となったところで、山越えして襲ってきた庄内藩に直ぐに敗れ、大砲を奪われ、そこから大砲を撃たれた。
矢島小学校前の松の木には大砲の弾の跡があり、「あれだよ」と教えられたものだが、50年前の小学生にはよく判らなかった。
19世という住職が庭で焚き火をされていて、少しお話を伺った。
寿慶寺は矢島を治めた生駒様の奥方(長崎県大村出身)の菩提寺として建てられたとのこと。
杉と樅と○(名前を忘れた)の三本が一緒に伸びていた大木は大きな枝が落ちてきたり、近所の屋根を壊したりする心配があり、4年前に伐られたとのことだった。

「寿慶寺古戦場跡」の表示 境内、左は中村さんの車
四年前、大きくなりすぎて伐られた杉・樅・○の三本が絡まった切り株 寿慶寺からみた八塩山(ピークは小八塩山)

結局、鍋倉林道と鍋倉峠はハッキリしなかった。864mでいいのだろうか。 12.11.11管理人今野記す。

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